はじめに
スポーツ現場において、脳振盪(のうしんとう)は決して軽視できない傷害である。一見軽傷に見えても、適切な対応を怠れば選手生命だけでなく、その人の人生そのものに深刻な影響を及ぼす可能性がある。
2023年7月に発表された「アムステルダム声明」は、2022年10月に開催された第6回国際スポーツ脳振盪会議の成果をまとめた、スポーツ関連脳振盪(SRC:Sports-Related Concussion)に関する最新の国際的ガイドラインである。本記事では、日本臨床スポーツ医学会誌に掲載された論文をもとに、この最新ガイドラインの要点と、医療従事者として押さえておくべき知見を紹介する。
国際スポーツ脳振盪会議の歴史と意義
2000年代からの取り組み
スポーツ医学の分野で脳振盪への取り組みをしっかりと議論すべきという機運が国際的に高まったのは2000年代に入ってからである。アメリカンフットボール、ボクシングなどの競技において、繰り返す脳振盪に起因すると推測される重篤な後遺症事例や死亡例が相次いで報告され、一部のケースが訴訟問題に発展したことも背景にある。
第1回から第6回までの変遷
2001年11月にウィーンで第1回国際スポーツ脳振盪会議(International Conference on Concussion in Sport)が開催されて以降、ほぼ4年に1回の頻度で会議が開催されるようになった。各回の開催地と特徴は以下の通りである:
| 回数 | 開催年 | 開催地 | 主な成果 |
|---|---|---|---|
| 第1回 | 2001年 | ウィーン | 脳振盪への国際的な取り組み開始 |
| 第2回 | 2004年 | プラハ | 評価ツールの標準化 |
| 第3回 | 2008年 | チューリッヒ | SCATの導入 |
| 第4回 | 2012年 | チューリッヒ | SCAT3への改訂 |
| 第5回 | 2016年 | ベルリン | SCAT5への改訂 |
| 第6回 | 2022年 | アムステルダム | SCAT6、SCOAT6の導入 |
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毎回、この会議から出される声明(Consensus Statement)はスポーツにおける脳振盪のガイドライン的位置付けとなり、国際的にもインパクトが大きい。特にコンタクトスポーツに関わるスポーツ医・医療従事者は、是非とも知っておくべき情報である。
アムステルダム声明の主要なポイント
スポーツ関連脳振盪(SRC)の定義
アムステルダム声明では、SRCの定義が改めて明確にされている。脳振盪とは、頭部への直接的または間接的な力によって引き起こされる脳機能の一過性の障害であり、意識消失を伴わない場合も多い。
現場での評価ツール:SCAT6
現場での急性期における評価ツールとして推奨されるのが、SCAT(Sport Concussion Assessment Tool)の最新版であるSCAT6である。これは、医療従事者がスポーツ現場で脳振盪を疑う選手を系統的に評価するためのツールであり、以下の要素で構成されている:
- 即時評価(Red Flags:緊急搬送が必要な徴候の確認)
- 症状評価
- 認知機能評価
- バランス評価
- 協調運動評価
医療機関での評価ツール:SCOAT6
今回の声明で新たに作成されたのがSCOAT6(Sport Concussion Office Assessment Tool 6)である。これは、医療機関での評価ツールとして、SCAT6よりもさらに詳細な評価を行うためのものである。
段階的競技復帰(RTS)プログラムの刷新
7ステップの復帰戦略
アムステルダム声明では、段階的競技復帰(Return to Sport:RTS)プログラムが大きく刷新された。従来の6ステップから実質的に7ステップへと変更され、より慎重なアプローチが推奨されている。
特に重要な変更点は、ステップ2がステップ2A(軽い有酸素運動)とステップ2B(中程度の有酸素運動)の2段階構成に変更された点である。これにより、より段階的で安全な競技復帰が可能になる。
早期の適度な運動の重要性
脳振盪後24〜48時間であれば、症状を再発させたり悪化させたりしない程度の、ウォーキングのような軽い強度の身体活動(Physical Activity:PA)に戻すことが可能である。
実際、SRC後2〜10日以内に処方する閾値以下の有酸素運動は、以下の効果があることが示されている:
- SRC後の持続的な症状(1ヶ月を超える症状)の発生率を減少させる
- 1ヶ月以上症状が持続するアスリートの回復を促進する
心拍数閾値(HRt)に基づく管理
医療従事者は、SRC後2〜10日以内に、運動負荷試験中に軽度の症状増悪を引き起こさない程度の心拍数閾値(Heart Rate threshold:HRt)に基づいて、症候性の閾値を確立することができる。
アスリートは、脳振盪に関連した症状が運動前の値に対して2ポイント以内の増加かつ1時間未満の増悪であれば、PAまたは所定の有酸素運動の継続時間および強度を継続または増加させることができる。
日本国内における脳振盪対応の現状と課題
大学競技団体の情報発信状況
日本の大学スポーツ競技団体における脳振盪に関する情報発信の調査によれば、一般公開されているSRCのガイドラインは11団体で確認された。しかし、Risk reduction(リスク低減)に関して明記している団体が少ないことが課題として明らかになっている。
競技特性に応じたガイドラインの必要性
SRCのガイドラインは、競技規則や競技特性に合わせて策定する必要がある。例えば、ラグビー、アメリカンフットボール、柔道、ボクシングなど、頭部への衝撃が多い競技では、より厳格な対応が求められる。
医療従事者として押さえるべきポイント
脳振盪の初期対応
柔道整復師、鍼灸師、理学療法士、スポーツトレーナー、セラピストとして、スポーツ現場で脳振盪が疑われる場合、以下の対応が求められる:
- 即座にプレーを中止させる:「疑わしい場合は外す(When in doubt, sit them out)」が鉄則
- Red Flagsの確認:頸部痛、複視、脱力、嘔吐、けいれんなど、緊急搬送が必要な徴候を見逃さない
- 医療機関への受診勧奨:軽症に見えても、必ず医師の診察を受けさせる
- 継続的な観察:症状は受傷後数時間から数日で悪化することがある
段階的復帰のサポート
脳振盪から競技復帰するプロセスは、医師の判断のもと、段階的に進める必要がある。医療従事者は、各ステップでの選手の状態を詳細に観察し、症状の再発や悪化がないかを確認する役割を担う。
教育と啓発活動
選手、指導者、保護者に対して、脳振盪の危険性と適切な対応について教育することも重要な役割である。特に、「痛みを我慢してプレーを続ける」という根性論が蔓延している日本のスポーツ文化において、意識改革を促す必要がある。
おわりに:脳を守るために、今できること
脳は、まだまだわからないことも多い器官である。神経科学の進歩により、日々新たな知見や情報がアップデートされている。だからこそ、選手生命はもちろん、その人の人生を大きく左右させる脳振盪の知見やサポート方法を知っておくことは非常に重要である。
2001年の第1回国際会議から20年以上が経過し、脳振盪に対する理解は大きく深まった。評価ツールは進化し、段階的復帰プログラムは洗練され、早期の適度な運動が回復を促進することも明らかになった。しかし、それでもなお、脳振盪の全容が解明されたわけではない。
アムステルダム声明は、現時点での最新の国際的合意である。しかし、4年後には第7回会議が開催され、新たな知見が追加される。そのため、私たちサポートする人間として、最新のものにしっかりとアップデートする必要がある。
頻度こそ少ないかもしれない。しかし、いざという時に大切な選手や人を守るために、この機会に脳振盪について深く考えてみることをオススメしたい。
正しい知識を持ち、適切な判断ができる医療従事者が一人でも多く増えることが、スポーツ現場での脳振盪による悲劇を防ぐ最善の方法である。選手の「大丈夫です」という言葉を鵜呑みにせず、科学的根拠に基づいた冷静な判断を下す勇気を持つこと。それが、私たち医療従事者に求められている使命である。
参考文献・リンク
- 日本臨床スポーツ医学会誌「脳振盪のサポート体制―新しい国際脳振盪学会ガイドライン―」
- 日本脳神経外科学会「スポーツにおける脳振盪に関する共同声明(第5回)」
- 日本脳神経外科学会「スポーツ頭部外傷10か条の提言」
- British Journal of Sports Medicine「Amsterdam Consensus Statement」
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著者:ミラウェルの中の人
mirawell メディアディレクター
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ミラウェルのメディアディレクター
これまで、約130を超えるセミナーコンテンツの
プロデュース/制作/集客/ディレクションを担当。
<保有資格>
・柔道整復師
・NSCA-CPT
・JADP認定スポーツメンタルトレーナー
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